Like a monotone.

Only those who do nothing at all wake no mistake but that would be a mistake.

今こそ、幸せの形は人それぞれって意識しなきゃねって映画「しあわせのパン」を観て思った話。

Huluで年末年始の9連休の最後に「しあわせのパン」を観ました
映画が公開されたときに観たいと思っていたのにタイミングを逃してしまい、ずっと心のどこかで気になっていたのだけれど TSUTAYAで借りる一手間が遠かった(単純に出不精なのですが)

Huluには日本の映画が配信されるのを待って、2週間お試しを経て無事メンバーになりました。今ではTBSオンデマンドまで配信されて、昔からテレビっ子だったわたしの宝箱化しています。と、、、Hulu熱が長引きそうなのでこの話はまた改めるとして


(ほんのちょっとネタバレ)
「しあわせのパン」は ”思ったとおりに生きる” ことを選んだ夫婦が、北海道の奥地で「美味しいコーヒー」と「美味しいパン」でもてなしCafe&pensionに訪れるお客を通じてさまざまな「しあわせの形」を見届けるお話で

・バースデー旅行をドタキャンされた女性と地元を出る勇気のない若い男性
・母親が出て行ったことを認められない娘と虚無感に包まれた父親
・長年連れ添い生きることに疲れた老夫婦

彼らが抱える生き方の苦しさを、この夫婦が温かく優しいもてなしでその心を解いていきながら、そのなかで夫婦自身もその心を解かしていく全員ハッピーエンドものです

これを9連休の最終日にベッドにうつ伏せながら観たのだけれど、フルスクリーンにせず、画面幅1/5にTwitterクライアントを立ち上げて、9連休の終わりを嘆いたり仕事モードに切り替えている人の、タイムリーなツイートを横目に眺めながら鑑賞していたのです。(こうして状況を文字に起こすとIT野郎みたい)
おしらくその視界の情報も影響してか、これまでだって分かっていたけれど、改めて人の感じ方やしあわせはそれぞれだとしみじみ思うのです

「余計なお金はいらないから、好きなことが最低限できればいい」って人もいるし
「好きな人とさえいられれば、仕事を失うことも厭わない」って人もいれば
「とにかくお金を稼ぐことが好き」な人もいる
「仕事とプライベート両立できてないなんて、そんなの人生じゃない!」
と主張する人もいる

つまり誰かの尺度ではなくて自分自身がしあわせだと思う形を、大切にしていかないといけない。当たり前なんだけど、いまって意外と承認欲求が比較的容易に満たされる時代になったからか、人に認めてもらうことがとても重要みたいな風潮があって、あえて逆ばりできる人以外はだいたいそういう流れのなかに、自分を埋め込んでしまっているように思える。

「しあわせのパン」は2012年の作品だけれど、
もしかするとこんな時代だから生まれたものなのかもしれないなと

自分自身の「しあわせのパン」をちゃんとみつけないといけませんねぇ。