Like a monotone.

Only those who do nothing at all wake no mistake but that would be a mistake.

数年放置プレイだった「ほぼ日手帳」を、1本のコピーによってあっさり手にした話。

数年前からことあるごとに気になり続けていたのが「 ほぼ日手帳 」
店頭で手には取るけれど、これまではどうしてもレジまでは届きませんでした

理由はそれなりにあって、重たい、分厚い、1日にもの凄くフォーカスされてて実際何書いていいか分からない、という具合でした
これと似たような理由で手を出していない人は結構いるんじゃないかと思います

特にわたしは、学生時代にQUOVADISの手帳を愛用していたこともあって、1weekでスケジュールやメモを書き留めることに慣れていたから、1日で半ページを費やされてしまうと週単位で見れないし、そもそもスケジュール帳をあとから見直すこともないしで、「 ほぼ日手帳 」のスタンスとまったく合っていなかったんですね


そういう意味で言うと、卓上カレンダーもできればその月だけが載ってるのではなくて、2ヶ月先まで見えるようなものの方が使い勝手がいいなと思うし、理想型を言えば、当月は大きめでそれ以降の月を小さめに12月まで掲載しててくれたらいいのに、とちょっとした不満を抱えているほど

わたしにとって「カレンダー」 = “全体感を把握できることが最も重要” であり、ブレイクダウンした「スケジュール帳」 = “週単位の全体感を把握できることが最も重要” なツールであるわけです
つまりわたしには、客観性がとても大事だったんですね

だからこそ、「 ほぼ日手帳 」とは縁遠かった
コンセプトにほんのりとした憧れや、自由度みたいなものへの期待を持ちつつ結局は “把握 ” できるツールに叶わなかった

ところが、突然にわたしの手に「 ほぼ日手帳 」がやってくることになりました
それは、たまたまその1本のコピーに出逢ってしまったから


ことしのわたしは、たのしい。
これからの予定はもちろん、その日にあったささいなことをほぼ日手帳に書き留めておくだけで、なんでもない毎日がたのしくなる。ほぼ日手帳は、そんな手帳です。




“ 把握 ” とか “ 全体感 ” とか “客観性” がとにかく重要だったわたしにとって、この堂々たる「主観」コピーの新鮮さといったらば
糸井さんの味がふんだんに盛り込まれているシンプルさが、わたしからスケジュールにおける “客観” を失わせ、大して中身も吟味しないまま、あっさりポチりました

でも実は、ここにECサイトがなくてLOFTへ行ってください、とかだとこの熱が持たない可能性があるけれど、受け皿があることでこの熱さがそのまま行動に乗るときの喜びってとても大きいから(それがノリに乗っちゃうっていう意味で怖さでもあるけれど)使いやすいECサイトは必須だなぁと思ってしまいました

話が逸れちゃったので戻すと、それまで大事だと思っていたものが1本のコピーのそれでガラリと違った景色に見えてしまったこと
最近はSNSの活用が促進してきたことで、BlogやTwitterで「読まれやすいコピー」「バズりやすいコピー」などの記事が多いけれど、本当のコピーの凄さってこういうことだよねと思うわけです

それまである側面からしか見えていなかったものを多角的な視点で捉えて新しい価値を見いだしたり、伝えたりすることで本来の目的を達成するということ
コピーの奥深さとシンプルさを久しぶりに感じた瞬間でした
このコピーに沿うようなアウトプットができることに期待してさっそく使って見ようと思います