Like a monotone.

Only those who do nothing at all wake no mistake but that would be a mistake.

3年後の3.11の話。

3.11、検索は応援になる。

検索すると10円寄付できるというサイト。「忘れちゃいけない」という思いが伝わってきました。(もちろん検索しました。これIPアドレスにつき1回なのかな...)

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実は、「なるべくなら思い出したくない」と記憶を封じていました。でもそれは命を落とした人や被災している人に失礼というか冒涜というか自己防衛だなと、このサイトを見て気がつきました。

SMAPSMAP×SMAPのエンディングで毎週欠かさず義援金の呼びかけをする姿をみて「ずっと続けている国民的アイドルは凄いなぁ」とはいつも思いつつ、実はあんまりその感覚が分かってなかったと思いました。風化させちゃいけない、その意味を今日になって本当に理解した気がします。

そんなこんなで、当時のことを思い出したのでメモ的にブログに書き留めておこうかなと。

3年前の3.11。地震発生直後、東京でも電話・メールが繋がらなかったけれど、フランス・パリ在住の姉から、あっさりFacebookメッセージで「大丈夫か」と連絡を受けました。電話とかメールとか繋がらないって言ってる最中に、あっさりでした。でも、数年前のテクノロジーでは考えられなかった国際的安否確認ですよね。少なくとも阪神淡路大震災の頃にはあり得なかったわけです。

そういう意味で、Twitterでのやりとりで人との繋がりを感じられたり、Pray for Japanのメッセージが世界から発信されていることを即座に知ることができたり、テクノロジーの進化とSNSが浸透し始めていたことの有難さを大きく感じることのできた体験だったと思います。これは3.11の震災に関するまとめで必ず入っていますね。

改めて、そういうものを創りだし、さらにあの時日本の震災情報をうけて、日本のTwitterサーバーが落ちないように支えてくれていた人たちに改めて感謝の気持ちが湧いてきます。

そんな地震の日の夜は、電車が止まっているだろうからと、職場の仲間と居酒屋に行き、帰りは途中まで車に寄せてもらって、四ツ谷あたりから徒歩で帰宅しました。真夜中の街を歩くことは怖いというイメージがあったけど(普段ならそうなんだろうけど)、あの日は歩いている人がたくさん居ましたし、大渋滞の影響で車のテールランプで街中が明るかったんですね。とにかく街中が一生懸命自宅に帰ろうとしていて、同士のような感覚でした。(本当はいつもの通勤電車もそうなんだけど、ね。)

他にも思い出すことはたくさんあるけれど、それはまたの機会に...

本当に久しぶりにいろいろと思い出した3年後の3.11でした。

改めて、犠牲になられた方へご冥福をお祈りし、被災された方に心よりお見舞い申し上げます。

 

SMAPの取り組みがYahoo!で記事になってました。本当に尊敬しますよ。国民的アイドル!

「忘れない」本気のSMAP義援金