Like a monotone.

Only those who do nothing at all wake no mistake but that would be a mistake.

ワタシ的美学を、どこまで正とするかの話。

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結婚、さらには妊娠までも経験して、まさかの人生展開に自分自身がついていけない事態になり、なんとか安定期まであと少しというところまできたけれど、まだまだ身体も心も不安定で、32歳の最後にきて、じぶんがじぶんでないような、そんな感覚を覚えたここ数ヵ月。

そんななかで「ワタシ的美学」と対面し、どう付き合っていくべきか考える機会に出くわした。

それはある日、つわりで体調がとても悪いなか、どうしても夫婦揃って打ち合わせに出ないといけない用事があり、おっと それぞれ仕事終わりから集合する形で外出することになったときのこと。
電話ですぐに連絡が取れるご時世だから至極当然になってしまったのかもしれないし、実のところワタシ自身も友人との待ち合わせはとりあえず駅名だけになっている気もする。
けれど、先方からの待ち合わせ連絡が「20時に渋谷」しかなく、あの出口や路線が入り組みまくったマンモス渋谷で、ウロウロするほどの体力と体調に余裕がないワタシとしては、おっと に渋谷の一体どこに待ち合わせるのかを予め先方に確認してほしかった。配慮というかいわゆるリードというか。

しかし、おっと にメールで聞いたところ「まだ決まってないみたい。渋谷に着いたら連絡くるよ」と。ワタシの今のこの状況が分かっていて、よくそんな呑気なことが...と、珍しく沸々と怒りが。
もともとこういうところは おっと の基本的な性格で、いつもは大して気にならないのだが、今回ばかりは気にかかり「聞いて、むしろ決めてほしい。そのあたりリードして」とメールを返信。 
おっと がワタシの指示の本質を理解したのか否かは不明のまま、先方と連絡を取り合った末に、待ち合わせ場所をワタシに連絡してきた。

ワタシはえづきながら、なんとか待ち合わせ場所に到着。 先に待ち合わせ場所に到着していた おっと は、涙目なワタシをみて心配そうに顔を覗き込んでくる。この感じか、この感じが産後離婚を現実のものにしていくのだなと脳裏にふとよぎる。

「体調が優れないから、予め待ち合わせ場所を指定してほしい」と、ワタシが先方に連絡を入れるという方法ももちろんあるし、きっとそうすることが穏やかな毎日を送る秘訣なのだと分かってはいるのだけれど、「ワタシ的美学」としてそこは体調が優れていない方でない者が、気を遣ってしかるべし、と思ってしまう。

ワタシのなかで、そういうことではない、という考え方が優っている状態なのだ。

この出来事をきっかけに、「ワタシ的美学」をどこまで押し通すかかが、今後の結婚・夫婦生活のキモになるなと痛感した。これまで「ワタシの美学」ゆえに終わらせたアレコレがあったけれど、 おっと と結婚することによって、それはだいぶなりを潜めたと思っていたのに。どうやら燻るものはあったらしい。

そんなことに今さら気づいて32年目を終えようとしているワタシのゾロメってどんなんよ、と今から震えている。

で、こんなときは、パワフルでガスガス前に進むような、他者や状況をものともしない勢いのある文章が読みたくなるので、昔に読んだ林真理子氏の著書「野望のすすめ」を久しぶりに読み返した。

あの人の、パワフルさ・何にも屈しない強さってなんだろう。と、読んだ当時も思ったけれど、読み返してまた思った。あの強靭な精神力っていったらない。文才の才能もあるんだろうけど、そっちの才能も十分にある。

「ワタシ的美学」とのせめぎ合いと、これから無事に毎日が経過することを祈るゾロメの前の日。